佐藤浩市の嫁・広田亜矢子は病気?さんまと手紙とは?年齢は?馴れ初め


佐藤浩市さんの現在の奥さんである広田亜矢子さんと元妻との馴れ初め結婚・離婚・再婚をまとめました。

嫁の広田亜矢子は病気?

広田亜矢子さんと結婚したのは、1993年挙式は北海道で行われました。当時、佐藤さんが32歳で、再婚でした。

広田さんは、元々舞台などで活躍していた女優さんでしたが、現在は引退をされており一般人になっています。噂では、元宝塚なのではとも言われていますが、ただの噂のようです。

整った顔でとても綺麗な女性ですね。年齢は40代。宝塚にいそうな感じはします。

【画像】原田芳雄さん

【画像】広田レオナさん

実は、広田亜矢子さんは、広田レオナの従妹で、原田芳雄の長男・原田喧太の妻の姉です。結婚してから家族を懸命に支えています。

佐藤さんの母親は2008年に脳梗塞で倒れ、一命はとりとめたものの、後遺症で認知症を患う。内縁の夫もすでに高いしており、母親は孤独のみとなり、佐藤さんとの関係を修復した。佐藤さんは、嫁と相談した結果、母親と一緒に住む事を決意。介護が必要な母親の為に引っ越しまでし、嫁と協力しながら母親の介護をしている。

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母親との確執とは?

父親、三國連太郎は4度結婚していますが、佐藤浩市は三國連太郎が3回目に結婚した時に出来た子供でした。三國連太郎と母親との馴れ初めは、母親は神楽坂で芸者をしていた時に出会たようです。しかし三國連太郎は佐藤浩市が小学校6年生の時に離婚します。離婚理由はまた他の女性のもとに走ったためのようです。

佐藤浩市は父親に捨てられ傷ついている状態でしたが、母親と二人で暮らし始めます。母親はスナック経営を始めます。佐藤浩市が中学に入ったころから、何かと母に世話を焼いてくれた内縁の夫が一緒に暮らすようになりました。

思春期の佐藤浩市には、受け入れがたい事実であり、佐藤浩市はこの家に自分の居場所はないとずっと思って悩んでいましたが、高校2年の時、家を出ました。アルバイトをしながら学校に行っていたらしいです。

その後30年にわたって母子関係は断絶状態になりました。父親に捨てられ、母親にも捨てられたような状態で一人孤独

精神的な土台がボロボロで不安定な状態だったと思います。私も似たような環境で育ちましたから少しだけ想像がつきます。

幼少時期に愛情を感じないと愛情を返す行為がわかりません。幸せになりたくてもどうしたらいいのかわからないんですよね。経験していないから。

でも、愛してもらうという経験をすると裏切る事は絶対にしないと思います。なので、現在の妻である広田さんとは、お互いに気遣い・思いやるという関係を築けたのだと思います。

手紙とは?

結婚した当初、身体があまり丈夫でない私は、 「自分が死んだら保険金で好きな映画を作ってね」と あなたに言ったことがありました。 今の私は違います。 23年前に浩市さんからいただいたお手紙にあった 「僕は一生あなたの味方です」という言葉を今も忘れません。 私の一番の味方は浩市さんです。 だからどんな困難も乗り越えていけます。 浩市さん、私は浩市さんを1人にしないように、 浩市さんよりも1日でも長く生きることを約束します。

この手紙は2015年公開の映画「愛を積むひと」の初日舞台あいさつで妻からのサプライズの手紙でした。

全文はこちら

 浩市さん…心臓が飛び出るくらい、ビックリしていることと思います。すみません。私はこの作品を見るのが、今日で3回目。きっとまた、客席で号泣していると思います。

もし自分が、夫より先に旅立つことになったら…ふと、そんなことを考えてしまいました。良子さんのように大きな愛を持ったウソを、浩市さんや息子たちに突き通せるでしょうか? 最後まで、あんなに強く凜(りん)としていられるでしょうか? 罪を犯した若者を、大きな愛で許せるでしょうか? そして、自分がいなくなった後を想像し、あんなに優しい手紙を書くことができるでしょうか? 私には、とても自信がありません。

結婚した当初、体があまり丈夫でない私は、「自分が死んだら、保険金で好きな映画を作ってね」と、あなたに言ったことがありました。もちろん当時は、まだ若く、死という存在が遠くにありました。でも、自分が浩市さんよりも、先に逝ってしまうような気がしたのは本当です。今の私は、違います。篤史さんと似ていて、役者の仕事しかできない浩市さん…あなたを残して旅立つことは、家族はもちろん、事務所のマネジャーさん、映画関係者の皆さまに、とてつもないご迷惑をおかけすることになり、それを思うと、とても先に逝くことなどできません。

この作品を通じて、命には…限りがあるということを痛感しました。当たり前の日常が、突然なくなることもあるということも。その時、後悔しないように、健康を大事に、感謝しながら、大切な家族や大切な方たちとの時間を、丁寧に過ごしたいと思います。

23年前に浩市さんからいただいたお手紙にあった「僕は一生あなたの味方です」という言葉を、今も忘れません。私の一番の味方は、浩市さんです。だから、どんな困難も乗り越えていけます。これからも、家族でいろんな形の愛を積み上げて、たくさんの笑顔につなげていきましょうね。

「愛を積むひと」は、ご夫婦はもちろん、恋人たち、子どもの立場から…そして迷える若者と、幅広い層のお客さまの心に残る作品だと思います。1人でも多くの方に見ていただいて、もう1度、大切な方との人生を見つめ直す、ひとつのきっかけになるといいなと思います。浩市さん…私は、浩市さんを1人にしないように、浩市さんよりも1日でも長く生きることを約束します。

この手紙で佐藤さんは男泣きをして話題になりました。こちらも泣けてきますね。ハっとさせられる手紙です。佐藤さんは奥さんと一緒に愛を積み上げてきたのですね。

今まで寂しい思いをしたのはこの時の為だったのではないかと考えます。経験が糧になる。自分が痛い目にあったからこそ相手の気持ちに寄り添える。そんな優しさが伝わります。

二人の馴れ初め

元々、奥さんは佐藤浩市さんの熱狂的なファンで、佐藤さんに近づくために芸能界を目指し舞台女優になった。

佐藤浩市に出会い交際に発展!念願かなって結婚→劇団退団。

これは、明石家さんまさんが明かした事です。凄い計画性ですね。肉食女子!佐藤さんは広田さんの一途なところに惚れたそうです。劇団を退団させたのは佐藤さんでした。

さんまとの関係は?

佐藤浩市さんと明石家さんまさんは、家族ぐるみのお付き合いをされているそうです。

佐藤さんの息子がまだ中学生だった頃に家族でオーストラリアに旅行に行った時の話。その時、さんまさんは佐藤さんの息子にエッチな本を買い与えたそうです。

しかし、その事が妻の広田亜矢子さんにバレ、息子は正座させられ説教を受けていました。その隣でさんまさんも正座をして謝ったそうです。

そもそも、息子がさんまさんにそういう本が欲しいと相談していたようです。何故か「熟女A」という本だったようです。中学生に熟女って。笑

さんまさんは、息子の事を「かんくん」と呼んでおり、役者になれと何度も言っていたようです。最初は断っていたそうですが、役者になりました。さんまさんは、寛一郎くんの後見人になる気のようですね。

佐藤浩市の息子・寛一郎のデビュー等まとめ記事はこちら

元妻との離婚理由

1986年に当時モデルだった女性とデキ婚。当時26歳。元嫁の名前は武田良子?何やらネット上で上がっていましたが、元嫁の名前かどうかわかりませんでした。

二人は3年後に離婚。離婚理由はわかっていませんが、奥さんが我慢できなかったのかも知れませんね。

結婚5年以内に離婚する人は多いですから。離婚原因は大体が性格の不一致などのようです。子供ができると女性は変わりますからね。

二人の間には息子ができましたが、元妻が親権を持ち育てています。子供とは全く会っていないようです。娘という情報もありますが、息子です。

愛情に飢えていた佐藤さんはいい家庭を築こうと思っていたようですが、うまくいかなかったようですね。

若い頃、父親の愛がなく育ったので、せめて息子には父親の愛情を与えるべき佐藤浩市でしたが、息子に対して父親としてどう接していいかわかなかったと言っています。

複雑な思いだったでしょう。しかし、親同士の事で振り回される子供も可愛そうと思いますが、何か意味があってこうなったとも考えられます。元奥さんと息子さんは親子でたくましく生きている事でしょう。

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