蛭子能収(えびすよしかず)さんと言えば、独特な絵の漫画を描いている先生ですが、そのキャラが際立ってテレビにも多く出演されていました。仕事は順調ですがプライベートはどうでしょうか?
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蛭子能収の嫁
1972年に長女(史英:ふみえ)誕生と同時に結婚。1974年長男(一郎:いちろう)が誕生。2001年肺高血圧症が原因で他界(51歳)。
死別だったんですね。それにしても若い死です。蛭子さんは、親の葬式でも泣かなかったのに妻の葬式では涙が流れたそうです。人前で涙を流すのはみっともないと考えていたそうですが、妻の死で初めて孤独と喪失感を感じたそうです。
妻の名前は貴美子さん。画材屋が実家の娘さんでした。30年連れ添った妻に関して
「人間って誰かを幸せにしたり喜ばせる為に産まれてくるって思っているんですよ。で、一番身近な人って結局は家族でしょ。女房は俺を幸せにする為に生まれてきた。そして俺は女房を喜ばせるのが運命だった。」
という言葉を残しました。テレビのキャラとプライベートでは考え方が全然違います。蛭子さんは沢山の名言を残しています。また、この名言のファンがたくさんいます。
蛭子の再婚相手
2007年1月に再婚。奥さんとの出会いは、週刊誌「女性自身」のお見合い企画でした。奥さんは、漫画家である蛭子さんのファンだったそうです。
お見合い企画を見て運命を感じ参加を決意。当時、奥さんも離婚をしていて、結婚はともかく憧れの人とお話ができるチャンス!と思ったそうです。
奥さんは蛭子さんより19歳年下の一般女性です。蛭子さんは、「前の妻との結婚生活が楽しかったからまた結婚したい」と思ったそうです。子供より妻を大切にする蛭子さん。子供はしょせん子供。でも、妻には気を遣わずに何でも話せると言っていました。こう聞くと、「奥さんをとても大切にしているからだろう」と思いますよね( ^ω^)・・・
一方、再婚相手の奥さんは何度も蛭子さんに離婚を切り出していたそうですwあまりにも「自分ファースト」な蛭子さんに何度も堪忍袋の緒が切れる状態だったそうです。初デートで競艇へ一人で行ってしまう蛭子さん。二人で二泊三日の旅行へ行こうと言われついて行ったら、3日間、競艇へ一人で行ってしまって一人でホテルで帰りを待つ3日間。ひどいwひどすぎる!
自分ファーストの蛭子さんに「どういうつもり!?」と怒ると「前の妻はそんな事で怒った事はない」と言ってきたそうです。もう最悪ですwwwそんな事を言われたら私だったら暴れていると思います。前の妻と比べる発言をする蛭子さん。デートを中断して競艇へ行く蛭子さん。気遣いをした奥さんに切れる蛭子さん。絶対に謝らない蛭子さん。
何故、蛭子さんと再婚をしたのか気になるところです。因みに、蛭子さんは「好みの体型だったから」だそうです(*^▽^*)目的がハッキリしています。
因みに再婚相手である現在の妻には一人娘(希和:きわ)の連れ子がいました。なので子供は3人になりました。孫は5人です。
結婚から10年後に蛭子さんが認知症を発症。奥さんは介護を続けるうちに睡眠不足になり4度も倒れ救急車で運ばれたそうです。離婚どころではなくなったちか。介護は嫁の自分がしないといけないと思い込んで、自分を追い込んでしまっていた奥さんでしたが、介護施設を頼ったりして、蛭子さんに教わった自分ファーストを心がけるようになったそうです。自分も倒れてしまって共倒れ。
奥さんは、蛭子さんを施設に預けるようになってから睡眠不足を解消し、心の健康を取り戻したそうです。そうなると、心に余裕ができ、今では蛭子さんが可愛いと思えるほどになったそうです。
色んな夫婦の形がありますが、離婚を切り出すも、蛭子さんが「離婚しないで~」の繰り返しで話の途中に疲れて寝てしまい、離婚できず。しかし当時、奥さんは、芸能人の蛭子を捨てた女として世間から袋たたきにされると思ったそうです。面白い夫婦ですよね。