癒し系グラビアアイドルだった井川遥さん美しいですよね~。初めて実物をお見かけした時は、あまりの美しさに見とれてしまいました。絶世の美女だと思いますね~。そんな井川遥さんを射止めた旦那さんとの馴れ初めや子供についてまとめました。いや~本当に美しい。
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子供の幼稚園は成城?学校はどこ?
井川さんが結婚したのは2006年でした。その3年後の2009年6月28日に第一子となる長女を出産。そしてまた3年後の2012年7月に第二子となる長男を出産。2人の子供に恵まれました。
一男一女とどちらも育てられる経験を得た井川さんはとても幸せだと思います。子供たちの名前は非公開で予想も噂もされていません。
子供たちの年齢は(2017年)長女が8歳の小学2年生。長男が5歳の年中さんです。
のびのび育てる事をもっとうにしています。井川さん本人の幼少期に礼儀や食事の作法をとても厳しく躾けられた事からこのような考えを持つようになりました。
長女が幼稚園に入学したばかりの時に長女の事が2013年4月号の女性セブンで取り上げられていました。
「家族の衣着付けのフランス料理店では、自分でスプーンで食事をし、店員に元気よく挨拶や質問をしつつも決して騒いだりしない賢そうな子供」
という内容だったのですが、幼稚園児をフランス料理店に連れて行くと騒ぎそうですが、騒ぐことなく静かにお食事をするという事はしっかりと教育をされている証拠ですね。
子供の性格によって違いもあると思いますが。比較的に女の子の方が大人しいです。どれだけ小さくても女の子は会話ができる。と個人的に実感しています。
そんなしっかり者の長女が通っていた幼稚園は名門と言われる青山学院大学付属幼稚園ではないかと言われています。
因みに倍率5倍を超える超難関幼稚園の受験をパスしていたしかし、受験対策の塾などには通っていなかったようです。習い事は運動系のみだったそうです。
作りが違うのね。(ぼそっと心の声が漏れる)家庭環境も周りの環境もとても良い事からいい影響を受けていたのでしょう。
青山学院といえば、幼稚園から大学までのエスカレーター式であり、子供の知能や社会性・身体の発達を問うテストなど本人の試験がある他に両親の仕事や収入・学歴なども入学の決め手となるようです。
青山学院と言えば、色んなお家柄の人が通う事でも有名です。歌舞伎界のご子息、ご令嬢がこの名門校に入学する事をよく見ます。一時期、世間を騒がせた黒木瞳さんの娘さんも青山学院。長男も青山学院に入学したと思われます。
井川遥と旦那の馴れ初め
井川さんの旦那さんの名前は松本与(あとう)。井川さんより14歳年上です。
職業はファッションデザイナーで自身のブランド「ato(アトウ)」を展開中です。
ファッションデザイナーとして一流で、南青山(一等地)に「ato」(アトウ)というブランドショップを構えていて、日本国内だけでなく海外からの支持も高いブランドなのだそうです。
松本与さんはレディースブランド「INDIVI」のディレクターとしても活躍している
ファッション界では名の知れたお人です。
お家柄もよく祖父は大手音響メーカー「パイオニア」の創始者である松本望さん。父は2005年までパイオニアの会長を務めていた松本冠也さん。
そして、母親の家系は、徳川家康の孫・直良を祖とする播磨・明石8万石の藩主だった松平家の出身。さらに母方の祖母は、岩倉具視に連なる岩倉公爵家から嫁いできた。
凄いですね~教科書に出てくる名前がずらり。井川さんが嫁いだ先が凄すぎる。縮こまっちゃうわ~。厳しい父の躾のおかげと本人の努力でお家柄にふさわしい嫁になったのでしょうね。
旦那さんの紹介が長くなってしまいましたが、二人の馴れ初めは、当時、松本さんが44歳で井川さんが30歳の時でした。2005年の秋頃に知人の食事会で初めて会った二人。
その約3ヶ月後にまた同じメンバーで食事会を開き、意識をし出す二人。食事会とは簡単に言ったら業界人同士の合コン。始めはほとんど話す事がなかった二人だが、ジムや散歩・食事などを楽しむうちに交際に発展。
結婚までにハッキリとしたプロポーズはなかったが松本さんが「これから二人でやっていくのだから」の一言で結婚を意識し始め結婚に至った。
現在は、
二人目のお子さんを出産後、各国の大使館が立ち並ぶ渋谷区の一等地になんと4億円のマンションを購入した
松本さんの懐の深さに守られながら井川さんも育児に仕事に奮闘しています。
井川遥は在日韓国人→帰化で日本国籍
井川遥さん本人が祖父が韓国人という事をカミングアウトされました。昔、読者モデルだった頃に本名で雑誌に載っていた事は有名です。在日3世に当たるようです。名前は趙 秀恵(チョウ・ヨシエ)(韓国名はチョ・スヘ)
在日だった井川さんは、現在は日本国籍になっています。もしかしたら、松本家からの結婚条件として帰化を求められたのかも知れません。
いくつになっても美しくあり続けられる秘訣は本人の努力はもちろんのことですが、家庭という地盤が安定しているおかげなのかも知れませんね。