細川たかしさんの髪型に慣れない中、レイザーラモンRGさんが真似をするようになってから慣れてきた人も多いのではないでしょうか?また、世代ではない人も細川たかしさんの事を知った人も多いでしょう。
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細川たかしの嫁
北海道出身の細川さんは、歌手を目指すために高校を中退し、昼間は自動車整備工で働きながら夜はすすきののキャバレーを回って歌手活動を行っていました。
そんな中で出会ったのが未来の奥さんになる和子さんでした。和子さんは、クラブで働いていて細身で美人と評判の女性でした。
細川さんの一目惚れだったんですね~。年齢は和子さんの方が一つ年上で細川さんは、年齢を偽り(逆サバ読み)和子さんに猛アタックの末、二人は交際へ。
3ヵ月の交際を経て1974年にスピード結婚。すぐに子供に恵まれた二人でしたが、歌手を夢見ていた細川さんに奥さんが背中を押し、メジャーデビューを目指す事にしました。
「1年で売れなかったら戻る」と約束をして妻子を残し一人で上京。
なんだか昭和の匂いがしますね~。細川たかしさんの人生はドラマの様です。そして、幼い子供がいるのに夫の夢を応援する事ができるなんて、何てカッコイイ女性でしょうか。
普通は無理です。子供が生まれたら働きに出るのも大変なのに。夫婦で辛い時期だったと思います。そして、約束通り、1年で歌手デビューを果たします。
「心のこり」は細川さんのデビュー曲であり、80万枚を売上大ヒット。
1年でここまで成功する事が出来るなんて本当に凄い事です。運も実力のうち。その後、しばらくヒット曲に恵まれませんでしたが、デビュー曲の売り上げは安定していた。
そして、北酒場が大ヒットしてからまた歌手生活の波に乗ります。2005年に個人事務所を設立し、和子さんは事務所のトップとして仕切るようになりました。
当時、子供は32歳で成人されていて、すでに「城崎恋歌」やその他の作詞を担当。息子さんは、作家として活動されていました。家族一丸となって細川たかしを支えていました。
細川たかしの子供
細川さんが22歳の時に結婚。交際3ヵ月で妊娠発覚ですから、1974年か1975年に生まれました。名前は譲(ゆずる)さんです。現在は、柚木由柚(ゆぎゆゆ)として活動されています。これは、細川さん本人が公にしました。
嫁の死因は?
2018年11月23日に和子さんは病院で息を引き取りました。享年70歳でした。和子さんは1年半の入院・闘病生活の末に他界。死因は何だったのか?残念ながら非公開になっています。噂も全くありませんでした。「公表しません」とハッキリ事務所が言っていますから仕方がないです。
しかし、70歳は若いですね。
75年のデビュー前に結婚し、苦楽を共にしてきた最愛の伴侶を失い「言葉にならない悲しみではありますが『いつも明るいたかしさんで』が妻の口癖でしたので、今後も明るい細川たかしで頑張ってまいりたいと存じます」と前を向いた。
気丈で夫を立てる、絵にかいた様な良妻賢母だったのではないでしょうか。とても真似はできませんね。
レゴブロック髪型の始まり
ネットを沸かせたあの髪型・・・。レゴブロックみたいと言われる事も。そして、被せた感が凄い。ここでカツラ疑惑が浮上します。
風で衣装が揺れても髪が固まってるから騒がれたんだ。
それもありますね。風が吹いても髪の毛が動かないってそれカツラやん!てなります。
髪が何故、乱れなかったのか?それは、ヘアスプレーでガッチガチに固めているからだそうです。
ふわふわした髪型が嫌い!自分はA型だからきちんとした性格
と豪語しています。そして、もみあげ部分は白髪が生えてきたからキッチリ剃り始めたのが今のスタイルの根源です。
きっちりキッチリですが、ある歌手の事を注意したその後、盛大に歌詞を間違えたという話は有名です。こういう事があるから世間から忘れられない存在になっているのもあると思います。
定期的に話題になっていますからね。これからも、お体に気を付けて頑張ってほしいですね。細川たかしさん怖そうと思っていたけど、面白い。元バーニングだった事と過去に不祥事を起こした事もありますが、細川たかしの人生は本当にドラマの様です。